園内マップ

第1期開園範囲は旧大隈重信別邸・旧古河別邸と陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸の庭園のみとなります。
建物内の見学はできません。

邸宅紹介

旧滄浪閣(伊藤博文邸跡・旧李王家別邸)


■建物概要
 現存の建物は、伊藤博文時代の建物が大正12年(1923)の関東大震災により倒壊したため、李王家により大正15年(1926)に再建されたものです。再建された建物は、シンメトリックな外観の洋室と和室を併せ持つ和洋折衷建築で大正期のモダニズムを良く留めています。表(客間等)、奥(寝室等)、裏(事務、侍女室)が明確に区分されています。
 伊藤博文時代の建物は、明治29年(1896)に建築され「滄浪閣」と命名され、住居用として使用された和館と、伊藤博文の居間や書斎、来賓の接待室など公的に使用された洋館となっていました。伊藤博文の死後、大正10年(1921)に李王家に譲渡され、譲渡後も「滄浪閣」の名は継承されていました。昭和26年(1951)に民間企業に売却され、平成20年11月に大磯町指定有形文化財に指定されました。

■庭園
 伊藤博文が崇拝する4人を祀った四賢堂や熱心な園芸家であった伊藤博文夫人が建てた温室が設置されていました。伊藤博文時代に植栽された多行松や歴史を感じる灯篭等が残されていますが、民間時代に駐車場が整備されるなど往時の形跡は残されていません。なお、四賢堂は吉田茂邸(現神奈川県立大磯城山公園)に移築されています。

■伊藤博文(1841~1909 山口県出身)
内閣制度の創設や明治憲法の制定の中心的な人物で、立憲政治の確立に向け大きな役割を果たしました。初代及び第5、7、10代内閣総理大臣、立憲政友会初代総裁、韓国総監府初代統監


敷地面積約17,284㎡
建築年大正15年(1926)旧李王家別邸
昭和28年(1953)(旧)ホール棟
延べ面積約1,390.3㎡
内文化財指定範囲
李王家別邸:約565.9㎡、(旧)ホール棟:約215.0㎡
構造木造平屋建鉄板葺一部瓦葺
   

旧大隈重信別邸・旧古河別邸


■建物概要
 明治30年(1897)に購入したのち改修し、避寒、避暑地として利用していました。建物は、改築されてはいるものの、大隈重信が書斎として使用していた「神代の間」(神代杉を使用)や、社交家の大隈がよく宴を開いていたと言われる「富士の間」など主要な居宅部分は往時の姿を留め、大磯が明治期に別荘地として最も発展した時代の別荘建築として貴重な歴史的遺産です。
 令和2年(2020)8月に大磯町指定有形文化財に指定されました。

■庭園
 概ね、古河邸時代の庭園が現存していると考えられています。邸宅からなだらかに下り、海岸につながっており、海沿いの松林や相模湾等を借景とした庭園構成です。芝庭やツツジが群植された和洋折衷式の庭園となっています。

■大隈重信(1838~1922 佐賀県出身)
伊藤博文内閣時代に外務大臣等を歴任した後、第8、17代内閣総理大臣。憲政党を結成、日本初の政党内閣を組織した。東京専門学校(現早稲田大学)を創立


敷地面積約25,352㎡(陸奥邸含む)
建築年明治30年(1897)以前
延べ面積約388.4㎡
構造木造平屋建寄棟金属板瓦棒葺
   

陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸


■建物概要
 現存の建物は、明治29年(1896)に建てられた当初の建物が大正12年(1923)の関東大震災により大破したため、昭和5年(1930)に改築されたものです。数寄屋風建物で、保存状態がよく、瀟洒で静閑な佇まいで建築された往時の姿をよく留めています。玄関には「聴漁荘」と揮毫された扁額が揚げられています。
 令和2年(2020)8月に大磯町指定有形文化財に指定されました。

■庭園
 斜面地形を生かした滝石組のある日本庭園で、井戸からの流れに沿ってツツジなどが植栽された回遊式庭園となっています。バラ園や果樹園も配置されています。

■陸奥宗光(1844~1897 和歌山県出身)
伊藤博文内閣時代に外務大臣等を歴任。不平等条約である治外法権の撤廃に尽力し、日本の国際社会における地位回復に貢献しました。


敷地面積約25,352㎡(大隈邸含む) 
建築年昭和5年(1930)
延べ面積約372.6㎡
構造木造平屋建寄棟桟瓦葺
   

西園寺公望別邸跡・旧池田成彬邸


■建物概要
 現存の建物は、西園寺公望から建物を譲り受けた池田成彬の東京本邸が関東大震災で倒壊したため、旧建物を建て替えたものです。英国風の本格的洋館で、間取り等の改変は無く、竣工時の姿を留めており、鉄筋コンクリートの堅牢な造りの邸宅は、昭和初期の建築技術を伝えています。日本建築学会から「大正昭和期の近代名建築」に選定され、また「かながわの建築物100選」にも選定されています。
 

■庭園
ツタやヒマラヤスギ、柑橘類などが植栽され、建物に併せた庭園が整備され、洋館中央のサンルームからつながる芝庭が、明るく開けた洋風庭園となっています。

■西園寺公望(1849~1940 京都府出身)
伊藤博文内閣時代に外務大臣等を歴任した後、第12、14代内閣総理大臣。立憲政友会第2代総裁、私塾立命館(現立命館大学)を創設
■池田成彬(1867~1950 山形県出身)
近衛文麿内閣時代に大蔵大臣を務める。第14代日本銀行総裁。三井財閥総帥


敷地面積約14,520㎡
建築年昭和7年(1932)
延べ面積約985㎡
構造RC造(一部木造)地上2階建地下1階寄棟瓦葺
   

湘南の邸園文化の育み

 明治時代、神奈川の地は、西洋文化の窓口として近代化に向けた様々な取組みが行われていました。明治20年代には東海道線や横須賀線の開設により、風向明媚で温暖な相模湾沿岸の地は、保養地として多くの著名人が邸宅や別荘を構えていきました。

 「明治記念大磯邸園」のある大磯の地は、相模湾や高麗山、鷹取山などの自然に囲まれ、古来より景勝地としてうたわれ、江戸時代には東海道五十三次の宿場町としても栄え、また、湘南発祥の地とも言われています。

 明治18年(1885年)、初代陸軍軍医総監松本順は、当時の西洋医学先端治療のひとつであった海水浴を推奨し、大磯海岸に日本で初めての海水浴場を開設しました。さらに、明治20年(1887年)には大磯駅が開設されたこともあり、多くの政財界人や文化人が保養や療養の目的で邸宅や別荘を構えるようになりました。その後も、海水浴が医療からレジャーへと変わり、避暑客が多く訪れるようになり、別荘はさらに増えていきました(※1)。そして、多くの政財界人や文化人(※2)が憩い、交流することにより湘南の邸園文化が育まれていきました(※3)。大磯は、立憲政治の確立に重要な役割を果たした伊藤博文を初め、8人もの内閣総理大臣経験者や著名な政治家が居を構えたこともあり、「政界の奥座敷」とも言われています。

 この「明治記念大磯邸園」には、立憲政治の確立等に重要な役割を果たした伊藤博文、大隈重信、西園寺公望そして陸奥宗光にゆかりのある邸宅や庭園などの歴史的建造物が残されています。これら残された邸宅等は、湘南の邸園文化(※3)の象徴として、明治期の姿と異なる箇所が少なくないものの、周囲の景観を生かした庭園、周辺の自然環境が一体となって、積層する歴史を今日に伝える佇まい(風致)を遺しています。


※1  明治20年(1887年)に東海道線が国府津駅まで延伸され大磯駅が開設されたこともあり、著名人の邸宅や別荘が多く建てられるようになり、駅開設後の明治30年(1897年)には別荘は100戸ほど、明治末期には170戸、大正10年(1921年)には200戸を超えていました。
※2 大磯町に邸宅や別荘を構えた主な著名人
【政治家】
山縣有朋(内閣総理大臣)、伊藤博文(内閣総理大臣)、原敬(内閣総理大臣)、大隈重信(内閣総理大臣)西園寺公望(内閣総理大臣)、加藤高明(内閣総理大臣)、寺内正毅(内閣総理大臣)、吉田茂(内閣総理大臣)、林董(外務大臣)、陸奥宗光(外務大臣)、井上準之助(大蔵大臣)、池田成彬(大蔵大臣) 他
【実業家】
浅野総一郎(浅野財閥)、岩崎弥之助(三菱財閥)、三井高棟(三井財閥)、古河市兵衛(古河財閥)、根津嘉一郎(東武鉄道)、安田善次郎(安田財閥) 他
【文化人・その他】
松本順(陸軍軍医総監)、西周(教育家)、ジョサイア・コンドル(建築家)、徳川茂承(旧紀州藩主)、尾上菊五郎(歌舞伎役者)、片岡仁左衛門(歌舞伎役者)、安田靫彦(画家)、島崎藤村(作家) 他
   *太字は「明治記念大磯邸園」に関連した著名人
※3 邸園文化圏再生構想
 相模湾沿岸地域及び箱根地域(14市町)は明治期から別荘地、保養地を形成し、首都圏で活躍する政財界人や文化人らが滞在し交流する地域として発展し、文学・音楽・スポーツなど様々な文化を発信してきた。
 神奈川県では、平成17年度(2005)より相模湾沿岸地域一帯に残る邸宅・庭園等を生かしたまちづくり構想を掲げ、湘南邸園文化祭を開催するなど官民協働による取組み「湘南邸園ツーリズム」を進めています。「明治記念大磯邸園」もこの取組みに参加しています。
*「邸園」とは、「邸園文化圏再生構想」に由来し、邸宅と庭園を合わせて「邸園」と称しています。